嫁の実家に帰省し、初代天皇の祖父と祖母の祭られている神社に初詣行ってきました。
新年あけましておめでとうございます(^^)
昨年末は本業のサラリーマンとしての活動(仕事)が忙しく、年始は嫁の実家に帰省してことから、久しぶり、且つ、今年初めてのブログとなります。
本年も何卒、よろしくお願い申し上げます。
昨年も年始は嫁の実家に帰省していた為、「嫁の実家帰省日記(一巻~三巻)」を綴らせていただきましたが、今年も嫁の実家がある長崎県対馬市に行ってきましたので、昨年紹介できなかったところをご紹介させていただきたいと思います。
地図で見る限り、限りなく韓国に近い島であります。
人口は約31,000人
島の面積 696㎢
先日某テレビ番組で東京23区内の人口密度が、1㎢当り約15,000人と紹介されていましたが、対馬市は1㎢当り45人になります。
嫁と結婚しなければ、おそらく一生訪れることがなかった場所だと思います。
5年も前の話しになりますが、嫁が里帰り出産を行っていたことから、子供が産まれた時は自家用車と共に、1人で深夜0時の船に乗り、島まで渡ったことがあります。その時の到着時間は、午前4時くらいだったでしょうか。
見知らぬ暗い山道を1人で1時間くらいかけて嫁の実家に向かう途中で、3匹の野生の鹿に出会いました。
ホンキで怖かったです。
しかし、今では立派なトンネルもでき、山道を通ることもなくなり、島にはドラッグストアの”マツキヨ”が2件もできていました。
島民の方には大変失礼は言い方になってしまいますが、正直なところ「こんな車の通りの少ない町に、お金かけてこんな大きくて立派なトンネルを作るんだ!」と思いました。
それくらい、長くきれいなトンネルが数年の間にできて、交通の便が良くなっていました。
そして、今年初詣で向かった先が「和多津美神社(わだつみ)」です。
彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)と豊玉姫命(とよたまひめのみこと)を祭った神社になります。
「わだつみ」という言葉をそのまま変換すると「海神」と変換されますが、まさに海の神様いわゆる竜宮伝説が伝えられる神社であります。
なぜ、「和多津美」と呼ばれるようになったのか解りませんが、満潮時は海水が社殿近くまで満ちてきます。
上の写真は、ホームページよりお借りしております。
しかし、実際に私が見た光景は下の写真の通りとなります。
海の水が満ちていれば神秘的だったのでしょうが・・・。
残念です・・・。
そして、この彦火々出見尊と豊玉姫命の物語は日本の歴史に大きな役割を持つことになります。
【物語の要約】
海神(父:豊玉彦命)を父に持つ豊玉姫命は、彦火々出見尊と結婚し懐妊しました。
そして、臨月を迎えた豊玉姫命は、海辺の渚に鵜の羽根を茅葺(かやぶき)の材料として産屋(うぶや)を作り、夫である彦火々出見尊に「出産中は産屋に入ってきて自分の姿をみないように」言ったそうです。
しかし、「鶴の恩返し」と同じように、興味本位で産屋を覗いてしまうのです。
産屋の中で彦火々出見尊が見てしまったものは、八尋和邇(ヤヒロワニ(鰐または竜と言われているようです))でした。
自分の姿を見られてしまった豊玉姫命は、その姿を恥じ産まれた子供を残して、海神の国との境界を閉じてしまい、帰ってこなくなってしまいました。
そして、その時の子供が鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)と言い、日本の初代天皇である「神武天皇」のお父さんになる方です。
※神社の裏の森を奥に進むと、豊玉姫命のお墓と呼ばれる場所があります。
このような歴史的背景を知ると、神社の歴史って奥が深いなぁ~と思いますね。
そして、こちらが和多津美神社の御朱印です。
朱印を間違えて二度押しされてしまったようです・・・。
しかし、こんな経験も初めてなので逆に珍しいものが手に入ったと喜びたいと思います(^^)
そして、最後にTwitterでも紹介させていただきましたが、日本の最西端に近い場所に位置するため、日の入り時刻も長く17:50頃でも太陽の明るさが残っています。
ちなみに東京の日の入り時刻が16:50頃なのに対して、対馬は17:30頃になります。
夏場は、20時過ぎでも明るさが残っています。
魚が最高に美味しので、機会があれば是非、訪れていただければと思います。