初めて知った衝撃の事実!今のアンパンマンは3代目だった!!!!!!
日曜日に家族三人で「アンパンマンミュージアム」に行って来ました。
息子のチビ太が5歳の誕生日を迎えるため、チビ太本人の希望もあり、誕生日のイベントとして「アンパンマンミュージアム」に遊びに行ったわけですが、正直なところ私は「アンパンマン」に全く興味ありません。
その昔、誰からか聞いた話しではありますが、「アンパンマン」は物語の中で、悪者(バイキンマン等)をやっつける時に「許さないぞ~」とか、「やめるんだ~」とか、言うセリフはあるけれども、決して「息の根を止めてやる!」とか、「コロしてやる~」というセリフが無いそうで、悪者を許して、諭してあげるという思いが物語の中に強く入っているそうです。
また、自らの顔を犠牲にして、お腹を空かせた人に食べさせてあげるなど「自己犠牲の精神」を強く主張しているところなど、教育的にも日本文化が取り入れられており、大変素晴らしい物語だとは思います。
でも、私はアンパンマンに興味がありません。
もちろん子供が主役のため、黙って後についてミュージアムの中を回ってはいますが、待ち時間はTwitterやブログを見て過ごしていました。
そんな時間を利用して、少しでもアンパンマンに興味を持とうと、今まで特に気に留めたことのないアンパンマンついて調べてみました。
作者の名前は「柳瀬 嵩(やなせたかし)さん」で、有名な童謡である「手のひらを太陽に」の作詞家としても知られているそうです。
調べている内に、これってもしかして一般常識かも・・・。
と思い始めています。
ちなみに「アンパンマン」は、1969年10月(今から約50年前)に、「こどもの絵本」という雑誌で掲載されたのが始まりのようですが、なんと!当時の「アンパンマン」は普通の人間だったそうです。
ストーリーの概要としては、戦争や貧困によって食料を満足に得られない子供達にアンパンを配っていたそうです。
彼は、空を飛びアンパンを配ることで、世界中に平和をもたらしたいと願っていたそうです。
しかし、アンパンを配ろうとしたら“ソフトクリームがいい”と言われたり、子供達からダサいと言われたり、薄気味悪い男とまで言われていたそうです。
そして、そんな世界の平和を願い続けた「初代アンパンマン」ですが、最後は戦争地帯を飛行中に敵機と間違われて撃たれてしまうという悲しいエンディングを迎えるそうです。
きっと、撃たれる瞬間まで彼はアンパンを配り、世界の平和を願っていたに違いないでしょう。
そして、「2代目アンパンマン」から、現代の「アンパンマン」に近くなっています。
でも、下のイラストを見る限り、なんか見すぼらしいですよね。
また、現在と比べて首から上の無い「アンパンマン」って、なんか不気味ですよね・・・。
実際に首の無い「アンパンマン」に対して、バッシングがあったりしたそうです。
それに比べると、現在の「アンパンマン」は、首から上が無くてもコミカルで笑えますよね(笑)
時に、ジャムおじさんが急いでアンパンマンに顔を届けるシーンなどは、面白かったりします。
ちなみに、私は「アンパンマン」に興味はありませんが、一応子供の付合いで一緒にテレビを見たことがあるので、一部のシーンについては覚えております。
歴史を覗き見ると、以外な「アンパンアン」のストーリーがあるんだなと、感慨深くなりましたが、改めて「アンパンマンミュージアム」での風景を思い浮かべると、ベンチのいたるところに、「首から上の無い二代目アンパンマン」のように、悲壮感漂う疲れ切ったお父さん達がいたな~と思いました。
もしかしたら、「2代目アンパンマン」のモデルは、疲れ切ったお父さんだったのかもしれませんね・・・。
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